さよなら故郷④三河田口駅 ダムに姿変え暮らし支える

2017/01/14 00:01(公開)
三河田口駅の跡地は設楽ダムの建設工事現場となっている=設楽町田口田尻で
 かつて設楽町田口田尻にあった豊橋鉄道田口線の三河田口駅。半世紀前までは“優しき交通拠点”として、町民に愛された。2度も水に沈むことになる駅の跡地は、設楽ダムの重要な役割を担う。
 本長篠駅から22㌔以上延びる田口線の終着駅だった三河田口駅。1932(昭和7)年に開業し、木材輸送の拠点にもなった。駅舎周辺には店舗もあった。
 しかし、田口の街から4㌔も離れた谷底の寒狭川沿いにあったことで、乗降客は伸び悩んだ。そんな駅は、常に町民を優しく受け入れた。
 住民を乗せたバスが田口の市街地にある停留所に到着した際、電車の出発時間が差し迫ると、バス会社が駅舎に電話し、出発を待ってもらうよう頼んだ。八橋地区に住んでいた窪野欣也さん(76)は「バスを降り、山の中の坂道を一気に駆け下りて、10分ほどで駅に着いた。電車が待ってくれるなんて、今なら考えられないね」と学生時代を回想する。
 そんな駅は1965年9月の台風で、駅や路線が水没して休業。経営不振もあり、その後復旧することはなかった。
 それから50年以上が経ち、現在駅があった場所は設楽ダム関連の建設現場となっている。この一帯はダムの貯水池となり、再び水の底に沈む。堤高129㍍のコンクリートダムが造成される位置からすぐ上流で、ダム湖で最も土砂をせき止めるあたりとなる。
 町民の思いを寛容に受け入れた三河田口駅の魂は、新たに“東三河の水がめ”へと姿を変え、人々の暮らしを支える。
(由本裕貴)
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