豊橋で唯一現存、守ろう郷土の宝
豊橋市嵩山町の白土社には、市内で唯一現存している「廻り舞台」がある。現在では農機具などの物置き場になっているが、昭和30年代までは祭礼の際に旅芸人の芝居があったそうだ。そんな郷土の宝物を復活させようと「白土社の廻り舞台を回す会」が立ち上がった。28日に現地で発足式を開く。
発起人は松田弥生さん。十数年前、嵩山町に引っ越してきた時に廻り舞台の存在を知り、復活させたいと思った。だが子どもに手が掛かる時期で、話はそのままになった。昨年、カイコを飼おうと桑の木を探して歩き回っていたところ、白土社の前にあるのに気づいた。そこで廻り舞台復活の夢を思い出し、取り組むことになった。
「これから出版」の水谷眞理さんによると、廻り舞台は1758(宝暦8)年、大坂の歌舞伎狂言作者の並木正三が、回転こまにヒントを得て考案した。舞台の床面を円形に切って、中心部に心棒を備え、舞台の下(奈落)に道具方を待機させた。舞台上の拍子木を合図に道具方は心棒を回し、舞台を回転させた。明治になって、1896(明治29)年にモーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」が上演された際に西洋で初めて廻り舞台が採用されたという。
国内では江戸末期から明治期に地方の神社境内に農村舞台が建てられ、廻り舞台が造られた。豊橋市には牟呂八幡宮にもあったが倉庫代わりに使われ、2017年2月に焼失した。
白土社の廻り舞台は1894(明治27年)頃に建てられた。間口は6間あり、左右と後方に通路が造られている。後方の地形の高低差を利用した奈落に、人力の車輪回転式装置がある。古老から「奈落に入って遊んだ」という証言も得た。
松田さんは「豊橋市の貴重な民俗資料で、文化遺産でもある。舞台として利用しなければ老朽化が進み、そのうち解体されてしまう」と訴える。専門家に見てもらったところ、地盤がしっかりしており、廻り舞台の機構部分に目立った損傷はないため、修復すれば舞台として復活する可能性があることが分かった。
今後、舞台に置いてある荷物を片付け、現状を調査し、修復に向けて見積もりを取る。廻り舞台を広く知ってもらうイベントを開き、その費用を募る方針。
松田さんは「廻り舞台を中心に、演者と観客、スタッフ、白土社の氏子、近所の人たちにつながりが生まれ、地域の活性化の一助としたい」と話している。
発足式は28日午後2時から2時間程度の予定。会員を募集している。年会費は法人は1口1万円、個人は1口1000円。問い合わせは松田さん(090・8136・4547)へ。
【山田一晶】
白土社。左が廻り舞台のある建物(同)
松田さん㊨と水谷さん=東愛知新聞社で