私が初めて三河市民オペラの稽古場を訪れたのは、公演の2カ月前、2023年3月のことだった。まだ番組の企画書は白紙。どのような切り口で取材できるか、手探りのスタートだった。
合唱稽古を見学し「三河市民オペラ制作委員会」のメンバー数人に話を聞いた。委員会を構成する24人は、地元豊橋で会社を経営しながら、オペラ制作の裏方を支えていた。稽古場の確保から出演者のケア、数千万円におよぶ資金調達まで、膨大な役割を無償でこなしていた。
本業と私生活の時間を削り、彼らはなぜこれほどまでに献身できるのか。その答えを求め、私は彼らの言葉の奥を探った。しかし、核心に迫る言葉は容易には見つからない。企画書を書けないまま、見切り発車のような形でデジカメを片手に豊橋に通い始めた。
最初に密着取材したのは、協賛金を集める場面だった。24人の制作委員が手分けして約400社の地元企業を回り、1口2万円からの出資協力を呼びかけていた。年度末の多忙な時期に、まだ見ぬオペラの魅力を懸命に説いて回る姿を見ていて、少しずつわかってきた。彼らを駆り立てていたのは「この先に、とてつもなく熱い『何か』が生まれる」という確信だったのだ。
その確信の源は、制作委員会のリーダー鈴木伊能勢さんの「舞台と観客が一体となった本物の感動を生み出す」という揺るぎない信念にあった。彼は圧倒的な熱量で周囲を巻き込み、有無を言わせぬ引力で制作委員のメンバーを導いていた。
さらに、豊橋という土地に根付く経済人たちの強固な結束も、このオペラを支える大きな力となっていた。青年会議所の若き経営者たちは持ち前の行動力で精力的に走り回り、彼らを支える先輩世代は、長年培った経験と人脈を生かして役割を果たしていた。
彼らの献身は、23年5月に上演を迎えた歌劇「アンドレア・シェニエ」で実を結んだ。一流のオペラ歌手と舞台スタッフ、地元のオーケストラと合唱団、裏方で奔走した制作委員、協賛した地元企業、そして客席を埋め尽くした2日間延べ2700人の観客…。すべてが一体となった会場の高揚感に私は震えた。圧倒的なクライマックスで幕切れを迎えた瞬間、会場はスタンディングオベーションの熱狂に包まれた。「とてつもなく熱い『何か』」「舞台と観客が一体となった本物の感動」が、確かに生まれたのだ。
しかし、この成功を目の当たりにした私は、同時にある種の難しさも感じた。これは、どこでも再現可能な成功モデルではない。情熱の塊のようなリーダー、組織立って動ける強固な地域コミュニティー、そして無償で奔走する約20人の精鋭たち。これら全ての要素がそろう場所が、他にどれほどあるだろうか。
三河市民オペラが、あの感動を今後も生み出し続けていくのは容易なことではないだろう。しかし、だからこそ、彼らには「感動のため」という原点を守り抜いてもらいたい。制作委員の一人が、ドア係を務めながら初めてオペラの舞台を目にし、人目もはばからず号泣していた姿を、私は忘れられない。あの感動の現場に立ち会えた時、彼らはきっとこう思ったはずだ。「すべては、この瞬間のためにあったのだ」と。
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神戸市出身。1999年入局。初任地の大分で地域放送に携わった後、東京でクラシック音楽の番組を15年間担当。その後、大阪勤務を経て名古屋に異動。地元の音楽文化を取材してきた。23年5月に三河市民オペラを取り上げ、ニュース番組「まるっと!」でリポートを、情報番組「さらさらサラダ」で特集企画を放送した。
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