豊川高校出身で西尾市の精密部品加工業「大野精工」の大野龍太郎社長(35)が「愛プロレス博2025」(3日、名古屋市千種区の今池ガスホール)でプロレスラーとしてデビューする。大野社長は「ずっとプロレス少年だった。年齢は関係ないし、『諦めなければ夢はかなう』ことを見せていきたい」と意気込む。
プロレスとの出合いは小学5年生の頃。友達に勧められ興業のビデオを見てみると、「黒のカリスマ」こと蝶野正洋さんのとりこになった。サングラスとひげのいかつい風貌と、「ケンカキック」で相手を倒していく姿に「悪そうでかっこいい。いつか俺もあんなふうに」と夢が膨らんだ。5歳から続ける空手の練習を終えると、夜にテレビで興業を見て、「週刊ゴング」を買うのが日課。ペンや筆箱などを黒でそろえるほど熱中し「友達はゲームをやっていたけど全く興味がなかった。昔から体が弱くて強い男に憧れた」と回想する。だが、年齢を重ねていくと夢は頭の片隅に追いやられた。「180㌢の身長もないし、無理だ」と諦めた。
その夢が動き出したのが2023年6月。趣味でプロレス観戦を続けるなかで、名古屋市のプロレス団体「スポルティーバエンターテイメント」に出合った。仕事をしながら競技を続ける選手が多く、35歳でデビューした清水佑選手もいた。興行後に「僕でもできるんですかね」と冗談交じりに話しかけると、「まだできるよ」と声を掛けられた。当時33歳だった大野社長は「まだ夢がかなうかもしれないかもしれない」と挑戦を始めた。
レッスンはマット上で基本動作や受け身を覚えるところから。「最初は真っすぐに前転ができなかった」と苦笑する。だが「空手で、言われたことを体に染み込ませるのは慣れていた」とどんどん上達し、24年12月からは練習生に。それからは一般の門下生とトレーニングに週1~2回取り組んだり、興業の準備や先輩のサポートなどをしたりしている。そして、今年4月のエキシビジョンマッチで実力が認められデビューが決まった。
一番大変なのが本業との両立。30代前半で家業を継ぎ、現在は製造業をはじめ、飲食、福祉と事業拡大し、5社を経営している。「練習は夜だからきつい。むち打ちで首や背中がめちゃくちゃ痛いけど上達が分かりやすいし、プロの先生に褒められるのがうれしい」と笑う。
デビュー戦の対戦相手は高井憲吾選手(46)=プロレスリング・チームでら。数々のタイトルを持つ強敵だ。「不安はあるが、リング上では誰も助けれくれない。やるしかない」と語った。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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