「地域を温める湯、人をつなぐ場所へ」 豊橋・人蔘湯2代目店長の挑戦

2025/10/17 12:00(公開)
二代目店長の奥村さん=人蔘湯で

 豊橋市内線「新川」駅停留所のすぐ近くに、戦前から続く銭湯「人蔘湯(にんじんゆ)」がある。廃業の危機に瀕しながらも、京都の「ゆとなみ社」によって2021年に復活。現在、この湯を支えているのが、二代目店長の奥村明加さんだ。

 

2020年に復活したが・・・2代目奥村さん「脱衣所で寝ることも」

 

 1950年開業の人蔘湯は、20年9月に突然のボイラー故障で廃業を選択したが、京都市の若者グループ「ゆとなみ社」の手を借り、再び営業を開始した。

 

 奥村さんは生まれも育ちも豊橋市。幼い頃、家族と銭湯に行った記憶はあるが、特別好きというわけではなかったという。「自分の周りに銭湯に通う人がいなかったので、生活に結びついたイメージがなかった」と振り返る。

 

 もともと歯科衛生士として働いていた奥村さんは、数か月後から北海道へ渡り輓馬(ばんば)の牧場で働く予定を立てていた。その空き時間を埋めるため、知人の紹介で人蔘湯を手伝うことに。「最初は『面白そう』くらいの感覚だった。でも、日々お客さんと接しているうちに、銭湯をなくしたくないと思うようになった」と振り返る。

 

 2020年春、予定通り北海道で働いたが、豊橋に残る銭湯がわずか2軒と知り、「自分がやるなら今しかない」と思い直し、帰郷。22年夏、二代目店長に就任した。店長となった当初、人手不足に悩まされた。朝9時から準備を始め、夜は午後0時まで番台に立った。掃除や温度調整、メンテナンスに追われ、時には脱衣場に寝袋を敷いて眠ることもあった。「番台に座るまでが大変で、楽しいだけではない。でも、待ってくれているお客さんがいるから頑張れた。『いいお風呂だったよ』という声が何よりの支え」と話す。

 

 彼女を支えたのは、前女将の藤井寿美子さん(78)だ。今もスタッフとして働いている。「大切なお風呂を、何も知らない若者に任せてくれた。その期待を絶対に裏切るわけにはいかない」

昭和レトロな雰囲気の外観

 

「鏡広告」で企業が応援

 

 銭湯を維持するには莫大な費用がかかる。ボイラーや配管、浴槽のメンテナンスは常に重い負担となる。そこで人参湯が力を入れているのが「鏡広告」だ。浴場の鏡に地元企業の広告を掲示する取り組みで、現在10社が協賛。1社あたり年間3万5000円で鏡を提供し、「応援の気持ち」で契約する企業も多い。「『人蔘湯で広告を見たよ』って言ってもらえるのが嬉しい。銭湯はただの風呂屋ではなく、街のコミュニティ拠点。その存在を知ってもらうきっかけにもなる」と手応えを感じつつある。

 

 奥村さんが何より大切にしているのは、銭湯ならではの「裸のコミュニケーション」だ。「服を着ていたら、肩書きや職業で人を判断してしまう。でも銭湯では、そういう壁がない。普段なら話さない人とも自然に会話が生まれる。ここにしかない面白さがある」

 

 人蔘湯には高齢者も多いが、親子で訪れる家族連れ、昭和レトロ好きの若者も増えている。世代を超えた「憩いの場」として機能しているのだ。 奥村さんは今後、さらにイベントやグッズ展開を広げたいと考えている。地域企業との連携や、手作り新聞での情報発信もその一環だ。「銭湯は『なくても生きていける場所』かもしれない。でも、あったら生活が豊かになる。お風呂でリフレッシュできて、人とつながれる空間を守りたい」と力を込めた。

 

 豊橋市に残る銭湯は、石巻湯と人参湯の2軒のみ。「お風呂に入る時間が、誰かの一日の楽しみになれば嬉しい。これからも、人蔘湯が街の『豊かさ』をつくる場所であり続けたい」。全国的に銭湯が減少するなかで、奥村さんの挑戦は地域の暮らしを支える大切な営みとなっている。

好評の鏡広告
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北川壱暉

 1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。

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