プロ野球ドラフト会議が23日に東京都内で開かれる。東三河ゆかりの選手でプロ志望届を出している4人を紹介する。
①名商大の永井大雅選手 135キロ右腕から長距離砲へ! 野手転向でプロに挑む
②「追い抜いてやる」悔しさ糧に成長 豊橋中央・松井蓮太朗選手、憧れは巨人監督の阿部慎之助
➂「投手でいく」あの日の言葉が原点 豊川・中西浩平、恩師と歩んだ3年間
豊川高校の中西浩平投手は、恵まれた体型から最速152㌔の速球と多彩な変化球を操る。
中学時代は遊撃手で、高校で投手に転向した。練習初日に長谷川裕記監督から「投手でいく」と告げられた。「嫌で仕方なかった」と明かすが、1年夏からベンチ入り。「投手は野手とは違って戦っている感覚があった」と気づいた。
長谷川監督との出会いは中学時代。別の選手の視察に行った際、ボールを投げる姿を見て「リリースするタイミングと指先の感覚が良い」と一目ぼれし、スカウトした。入学時の中西選手を「ちゃらんぽらんだった」と笑う。「私生活も直さないと野球はうまくならない。睡眠と学校の時間を除いて、残りの8時間をどう使うかで野球人生が変わる」と心構えをたたき込んだ。その言葉を胸に、全体練習を終えると、夜は筋力トレーニング。体重は入学時の60㌔後半から3年時には84㌔に増えた。
2年春のセンバツの阿南光(徳島)戦に4番手で登板し5失点。落ち込んだが、人一倍の負けず嫌い。「誰も打てない」理想の直球を目指し、一学年上のモイセエフ・ニキータ選手(ヤクルト)とシート打撃で対戦し「絶対に打たれたくない」と闘志を燃やした。清水翔太投手コーチの助言で軸が安定し、直球は3月には150㌔に達し、注目選手に躍り出た。
3年春に右ひじを痛め、夏の県予選は5回戦敗退。現在は回復し、「ボールを線で捉える」感覚を大切にフォームを修正し、練習を続ける。長谷川監督は「100の中で20しか能力を発揮できていない。自分の才能を信じて努力を」とエールを送った。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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