プロ野球「中日ドラゴンズ」のブルペンを支え続けた祖父江大輔さん(38)の原点は、愛知大学での4年間にあった。140㌔台後半の直球を武器にプロ注目の存在となりながら、待っていたのは「指名漏れ」という非情な現実だった。慢心を打ち砕かれたあの日と、豊橋の地で過ごした歳月を振り返る。
名古屋市出身の祖父江さんは、愛知高校から愛知大に入学した。当初は遊撃手だったが、1年春に「何となく楽そうに見えた」と当時監督の八田剛さんに投手転向を直訴した。未経験ながら130㌔台後半を投げ込み、その場で転向が認められた。八田さんは「お世辞にも守備はうまくなかったが、肩は強い。鍛えようでは面白くなりそうだと感じた」と振り返る。社会人野球のエースだった八田さんから直球の使い分けを学び、4年生で捕手の赤田龍一郎さんと黄金バッテリーを組み、防御率0点台という圧倒的な成績でチームを1部復帰へと導いた。11球団から調査書が届き、「プロなんて簡単だと思っていた」と話した。
だが、2009年のドラフトは甘くなかった。記者会見場で隣の赤田さんが育成指名を受けて笑顔を見せる中、祖父江さんの名前は無かった。大きな挫折を味わった。その経験は祖父江さんを強くした。トヨタ自動車を経て、13年にドラフト5位で中日に入団。20年には最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得するまでに成長した。
現役生活の12年間、常に不安と戦いながらマウンドに立ち続け、グラブには「チャレンジャー」と刻んだ。愛大の卒業式に登壇し「失敗してこそ人間は大きくなれる。人生は楽しいぞと当時の自分に声をかけたい」と笑顔を見せた。
ドラフト当日の夜、訪れた場所がある。豊橋市内の祖父江さんのアパート前の中華料理店「悟空亭」だ。店主の山田洋さん(52)は、今も忘れられない。祖父江さんの目は真っ赤にはれ、鳴り続ける携帯電話に出ることもできず、ただぼう然としていた。大好物の「スタミナラーメン」を注文したものの、箸は一向に進まない。山田さんは「かける言葉が見つからなかった」と振り返る。プロになってからも豊橋での試合の際は顔を見せていたといい、「プロになってから何度も来てくれて、『頑張ってね』と声を掛けた。引退でお疲れさまという気持ち。今後も応援します」とねぎらった。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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