【蒲郡】黒川紀章設計の平和塔解体へ|老朽化著しく今年度中に着手

2026/06/20 00:00(公開)

 蒲郡市は、同市水竹町の中央公園にある「戦没者慰霊平和塔」を今年度中に解体することを決めた。老朽化が進み、壁面の大理石が一部剥離するなど著しく危険な状態となったためだ。塔は世界的な建築家の黒川紀章氏(1934~2007年)が設計し、1977年11月24日に建立された貴重な建造物。半世紀近くにわたり平和のシンボルとして親しまれてきた。    

 

 平和塔は1216平方㍍の広場に建つ大理石貼りの鉄筋コンクリート造りで高さ20㍍。白い2本の柱が天に向かって伸びる独特のフォルムが特徴だ。当時の市戦没者慰霊平和塔建設奉賛会が日清、日露から太平洋戦争に至る戦没者の慰霊を目的に、市民の寄付などを財源に約9000万円(現在で数億円相当)で建設し、市へ寄贈した。

 

1977年11月24日の完工式の様子(蒲郡市博物館提供)
1977年11月24日の完工式の様子(蒲郡市博物館提供)

三つの願い込めた塔

 

 黒川氏は蟹江町出身で、国立新美術館や世界初のカプセル型集合住宅「中銀カプセルタワービル」を手がけた日本を代表する建築家だ。塔は2本の柱の間から太陽の光が差し込むよう設計され、英霊追悼と平和な日本、市民の力によるまちづくりという三つの願いが込められている。

 

 建立後は、現在の市戦没者慰霊奉賛会や市がそれぞれ式典を開催し、戦争の悲惨さを語り継いできた。市は平和都市宣言なども行った。

 

塔で行われていた式典の様子(提供)
塔で行われていた式典の様子(提供)

補修重ねるも崩落、立ち入り禁止に

 

 塔は2005年度に外壁の大理石が数枚剥がれ落ち、約1000万円かけて大規模な補修工事をした。その後も修繕を重ねてきたものの、24年3月にも同様の剥離が確認され、同5月には崩落した。現在は安全対策としてトラ柵で囲い、立ち入りを禁止した。

 

 こうした事態を受け、市は奉賛会と協議し、解体はやむを得ないとの結論に至った。鈴木寿明市長は今月1日の記者会見で解体に言及し、修復や建て替えは行わないとした。戦没者名簿については「適切な施設で保存していく」と述べた。担当の福祉課によると10月以降に工事を進める予定という。

 

外壁から剥落した大理石の一部(提供)
外壁から剥落した大理石の一部(提供)

7月6日に住民説明会

 

 市は解体に向け、市民の理解を求めるため、7月6日午後6時半から市役所北棟集会室で住民説明会を開く。鈴木市長は「しっかり声は聞きたい」とし、解体を前提に市民との対話を進める考えを示した。

 

 一方、運動のため毎朝公園を訪れる男性(84)は、父が戦地から生還した経験に触れ「残念でしょうがない。もったいない。どこが老朽化しているのか私たちには分からない」と惜しんだ。

 

 こうした中、市議会6月定例会の一般質問で大須賀林氏が「遺族や市民の精神的支柱が失われかねない」と訴えた。大理石に代わる素材での存続を提案したが、市は著作権の問題や将来の修繕費用などを考慮し、解体はやむを得ないと答弁した。

 

 鈴木市長は定例会で解体後に慰霊エリアやモニュメントの整備を関係者と協議する考えを明らかにし「慰霊と恒久平和の思いは平和教育を通じて市民へ継承され、未来へつながると信じている」と述べた。

蒲郡市中央公園にある戦没者慰霊平和塔=蒲郡市水竹町で
蒲郡市中央公園にある戦没者慰霊平和塔=蒲郡市水竹町で
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林大二朗

 愛知県蒲郡市生まれ。2020年、地元蒲郡が好きで東愛知新聞社に入社。同年から蒲郡担当、市政や地域行事、文化など全般を取材。ドローンを使って東三河の名所を空撮したルポ「大二朗記者の空からの訪問」を不定期連載。これまで、三河大島や三河国分尼寺跡、日出の石門などを空撮してきた。ドローン技術向上のため、国家資格「一等無人航空機操縦士」を24年に取得。読者の皆さんが楽しんでもらえる記事と記憶に残る写真を掲載できるよう、日々、頑張っていきます。

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