子どもを守れ②豊川御津南部小 より速く高い場所へ避難

2017/01/12 00:01(公開)
昨年6月の避難訓練で、南校舎3階に避難する御津南部小の児童ら
 豊川市内の学校で最も海に近い御津南部小学校(出口修校長)は、学校の建物自体が津波避難ビルに指定されている。宮城県石巻市の大川小の悲劇も教訓に、「より近く、高い場所へ」の方針に倣って避難訓練の内容を大きく変えた。
 児童585人が通う御津南部小は、三河湾から直線で約1㌔。御津町は理論上最大モデルで3・5㍍の津波が来るとされるが、同小は想定浸水区域からは外れ、他に高い建物もないことから、学校そのものが津波避難ビルとなっている。
 東日本大震災の衝撃が大きかっただけに、同小は海から少しでも遠い場所に逃れようと、毎年6月の避難訓練で内陸へ約1・7㌔にある御津北部小に向かった。全校児童が列をなし、学校近くを流れる音羽川の堤防を歩いて北上した。
 しかし、宮城の大川小では、北上川を河口から約4㌔も逆流してきた津波に、児童74人が襲われた。教員らが学校の裏山を避け、少し離れた高台への避難を決めたことが、悲劇を招いた。
 御津南部小は豊川市防災対策課と協議し、音羽川沿いを歩くのは危険と判断。また、別の道順でも御津北部小へ向かう際、御津駅近くの踏切と狭い梨野ガードを通ることになることから、避難訓練では2年前から敷地外には出ず、校舎の3階に避難する内容に変更している。
 出口校長は「市の意見を参考に、より速く、高い場所へという視点で訓練内容を変えた。発災直後に渋滞などで混乱している街を子どもたちが歩けば、交通事故も起きかねない」と説明する。
 緊急時には、浸水想定区域の住民や、近隣の御津南部保育園の園児らも学校に避難してくることになる。混乱を避けるため、上級生が下級生とペアを組んで南校舎3階に移動するなど、迅速な避難行動を徹底。教員も目印となる旗や笛、応急処置用品を詰め込んだリュックサックを全学級に備えている。
(由本裕貴)
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