第97回選抜高校野球大会(センバツ)が18日に阪神甲子園球場で開幕する。常葉菊川の鈴木瑠惟選手(2年)は、愛知豊橋ボーイズ時代にチームメートだった横浜の阿部葉太選手(同)と「決勝で戦おう」と誓い合った。
出会いは中学時代。豊橋出身の鈴木選手は牟呂サンライズ、田原出身の阿部選手は田原東部スポーツ少年団で野球を始め、強豪のボーイズに入った。中学時代は2人はともに内野手。一緒にキャッチボールすることもあった。母の舞さん(44)は「葉太くんの隣にいつもいた。性格的に相性が良かったのだと思う」と推察する。
だが、2人の境遇は対照的といえる。阿部選手は1年からレギュラー。3年春からは1番中堅を不動のものにし、夏には主将としてチームを全国ベスト8に導いた。この年の選抜チームに選ばれるなど、名の知れた存在だった。
一方、鈴木選手は入学時は、内野陣に仲谷成真選手(享栄2年)、転向前の阿部選手、一つ上には寺島貫太選手(愛知大1年)がおり、控えメンバーだった。
「どうしたら試合に出られるのか」。富田謙二コーチらと磨いたのが守備だった。今でこそ軽快さが持ち味だが、当時は一歩目の速さに課題を抱えていた。そこで、素早い足の動きを会得しようと、ノックを受け続けた。「とにかく全然休まない。ノッカーの私が疲れてしまうほど」と苦笑する。ボールへの執念深さも随一で「内外野の間を落ちる打球は、外野手より先に取りに行く」。その結果、堅実な守備をマスターし、2年秋から二塁手のレギュラーに。首脳陣や阿部選手らから「瑠惟なら大丈夫」と認められた。
課題は打撃。入学時は身長150㌢未満で、打球が内野手の頭を越えず苦労していた。富田コーチが「自分の役割が見つかったのでは」と振り返るのが2年秋の「中日スポーツ杯中日本大会」決勝戦。僅差の終盤に打席が回ってきた。9番で次は阿部選手。「落ち着いて」と言い聞かせ無事に塁を進めた。このプレーがきっかけで逆転、「あの時のうれしそうな顔とガッツポーズ。何かつかんだ様子だった」と回想する。その後は1番阿部、2番鈴木を打つこともあった。
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1998年浜松市生まれ。昔からの夢だった新聞記者の夢を叶えるために、2023年に入社した。同年からスポーツと警察を担当。最近は高校野球で泥だらけの球児を追いかけている。雨森たきびさん(作家)や佐野妙さん(漫画家)らを取り上げた「東三河のサブカルチャー」の連載を企画した。読者の皆さんがあっと驚くような記事を書けるように日々奮闘している。趣味はプロ野球観戦で大の中日ファン。
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