県立時習館高校と豊橋東高校で6日、豊川海軍工廠(工廠)空襲と、豊橋空襲で亡くなった人を追悼する式典があった。7日は海軍工廠空襲から80年。
時習館は、歴史部が約10年前から始め、昨年から生徒会と協力して学校行事として開いている。海軍工廠に動員されて亡くなった人の名を刻んだ「早咲きの花」が校内にあり、生徒や教職員らが献花した。野球部の練習試合で訪れていた同朋高校野球部も参列した。
歴史部の生徒が、豊橋空襲で市街地の約7割が焼失し、少なくとも624人が亡くなったこと、豊川海軍工廠空襲では2500人以上が亡くなったこと、時習館の前進豊橋中学校の教職員や生徒ら42人が亡くなったことなどを語った。
献花を終えて、歴史部の小川武琉部長(2年)は「地元にも犠牲者はおり、地域の歴史を知り、理解を深めることが大切」と訴える。「歴史を知らないのは恐ろしいこと。今後も絶対にやめることなく続け、次の世代につないでいきたい」と語った。
豊橋東では「世界平和祈念式典」があった。生徒や元動員学徒を含む同窓生らが校庭の記念碑前で犠牲者の霊を慰め、恒久平和を誓った。
海軍工廠空襲では、当時の市立豊橋高等女学校と県立豊橋第二中学校の生徒や引率教員97人が犠牲となった。豊橋空襲でも生徒6人が亡くなった。
式典には生徒代表や同窓会「ひがし会」会員らが参列し、他の生徒は教室から見守った。記念碑前では犠牲者計103人を悼み、生徒が折った千羽鶴と花を次々と手向けた。
生徒会長の宮路撫子さん(16)は「戦争体験を聴く機会が減る中、今を生きる世代は戦争の悲惨さを後世に伝える責務がある。平和維持のため何ができるかを考え続けたい」と誓った。
市内在住で豊橋高女の同級生だった伊藤和子さん(94)、六峰幸代さん(93)、松橋京子さん(93)も参列。爆撃当時は「防空壕で砂をかぶり、堀を超えて近所の農家へ逃げ込んだ。この日になると亡くなった同級生に申し訳ない思いがこみ上げる。命ある限り式典に参加したい」と決意を新たにした。
購読残数: / 本
週間ランキング
日付で探す