人を狂わせる戦争

2022/08/07 00:02(公開)
豊橋海軍航空隊基地(すべて中川茂さん提供)
豊橋海軍航空隊基地(すべて中川茂さん提供)
中川さん、牧野さん語る

 豊橋市明海町には太平洋戦争当時「豊橋海軍航空隊基地」があった。ここで訓練を受けた若者の一部は、特攻隊員として散った。「戦争は多くの命が奪われる。二度と起こしてはいけない」と訴える人たちがいる。
 基地は1943年4月に完成した。1500㍍級の主滑走路3本のほか、小型機用の1000㍍級滑走路2本があった。海軍屈指の大飛行場だった。第11航空艦隊の陸上攻撃機要員練成部隊だった。
 この基地に詳しい同市大崎町の中川茂さん(75)によると、工事は徴用された朝鮮人2000人余も使われていたという。当時最新鋭だったサンドポンプを使って海を埋め立てた。埋め立て用の土は大崎地区の山を削り、専用トロッコで運んだ。朝鮮人労働者家族の集落も大崎の中にあったという。
 戦争末期、米軍の空襲が予想される際は、基地の飛行機は、戦わずに避難していたという。中川さんは「人命よりも飛行機を大切にしていた。戦争は人を狂わせる。絶対にしてはいけない」と訴える。
 基地で訓練を受けた後に特攻隊に配属され、戦死した人もいる。靖国神社でその遺書を見たのが、同市野黒町の牧野信男さん(85)。21歳の海軍一等飛行兵曹のもので、「これが父母様へのせめてもの孝行かと思います。にっこり散っていきます。祖国の危機を救うは、我々青年搭乗員です。男の中の男として空に散らん。明るく清い心と体で散ってゆきます」などと書かれていたという。牧野さんは「若者の命を奪うのが戦争。平和が一番」と話した。
【竹下貴信】
基地に並ぶ陸上攻撃機
基地に並ぶ陸上攻撃機
基地建設の土を運んだトロッコ
基地建設の土を運んだトロッコ
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