本シリーズのタイトル「三河市民オペラの冒険」は2011年に刊行された書籍の題名だ。「カルメン」公演のまとまった原稿があるとおっしゃるので、ご紹介した出版社に鈴木伊能勢さんとご一緒したのを昨日のことのように思い出す。
伊能勢さんと初めてお会いしたのは、それよりもさらに前の2007年2月に茨城県日立市でおこなわれたフォーラムの場だ。日本各地のオペラ関係者が集う機会だったのだが、パリでのオペラの国際会議から帰ってきた翌日に参加した私の目には、少し雰囲気の違う人のように映った。企業の経営者だと知って納得した記憶がある。そして今日に至るまでお付き合いさせていただいている。
三河市民オペラについては、2022年10月に集英社新書から出版した「市民オペラ」でも大きく紹介した。数年に一度の舞台制作に経営感覚を取り入れたあり方が面白く、また本番に至るまでの発想が、一国を代表するような海外の歌劇場のそれと極めて近いと感じたからだ。制作進行や舞台製作を外注しているとはいえ、支援者へのアプローチをはじめとするステークホルダーたちとの関係づくりなど、リーダーのもとチームで動いていく。
こうして擬似歌劇場のような体制を生み、NHK「プロジェクトX」並みのオペラづくりが実現してきた。テレビでは舞台裏を支える登場人物たちが具体的な目的のために汗と涙を流し、一発逆転の発想でブレークスルーを生み出す過程を描く。視聴者の涙が前提のシナリオだが、既定路線とならないが故に「ドラマ」なのだ。
三河市民オペラはどうか。彼らはこれまで見事な物語を紡いできた。オペラ公演のためにコンサートで収益をあげるという収入確保の考え方、オーディションを公開して盛り上げ、会場を熱気で包み込むことなど、はっきりしている。その明快さが三河市民オペラの魅力であり、歌手をはじめとする応援団が集結、どんどん大きな舞台を作るようになった。そして2023年の「アンドレア・シェニエ」2公演を完売する。なかなか上演されない作品をやりきり、振り返りコンサートも実施した。今はここだ。オペラなんて片手で足りるほどしか観たことがないと言っていた制作委員会の方々だが、舞台への愛情は人一倍に高まっているところだろう。
実はオペラ制作には経営の感覚がモノを言う。商品は誇りをもってマーケットに出す。ただし、制作側が決して商品である芸術そのものに近づきすぎない。それはプロの仕事だと、演出家や指揮者にハッキリ委ねる。こうした分業方式が彼らの特徴だとはいえ、そこには顔の見えるリーダーがいる。こうして芸術家と経営者との絶妙な関係性が強力な磁場を生み出してきた。
しかし、だ。経済・社会環境は大きく変化している。為替変動、地政学リスク、人口減少、気候温暖化は社会と密接につながるオペラづくりとも決して遠い話ではない。時に冷徹に、そして大胆に決断をする必要がある。改善すべき点は徹底的に原因を追究して改めていく。大規模な歌劇場運営であろうが、地域のオペラ団体だろうが、そうした行為には、常に的確な状況分析に基づいた判断が必要となる。社会も団体そのものも転換期を迎えようとしている今、大人の本気をどう示すのか、そして「冒険の旅」の目的地をどこに定めるのか。その冷静な答えが待たれる。
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専門は歌劇場政策。文部科学省文化審議会文化経済部会、文化施設部会委員のほか、「日本のオペラ年鑑」編さん委員長、藤沢市民オペラ制作委員会委員などを務め、常に現場に根差した活動をつうじて、国内外の舞台芸術と社会の関係性に現代的な視点で切り込んでいる。2025年5月25日熊本県立劇場「シアターアジア」オープニングシンポジウムに登壇予定。単著に「市民オペラ」「芸術文化助成の考え方」、編著に「新 クラシック・コンサート制作の基礎知識」など。東京藝術大学博士課程修了、博士(学術)。
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