元豊橋市図書館副館長でで、九州龍谷短期大学教授の岩瀬彰利さんによるトーク「もしかしてこんな豊橋だった?~空襲がなかった『まちなか』を想像する」が27日、「まちなか図書館」中央ステップで開かれた。
出版されたばかりの「もしかしてこんな愛知だった?」(風媒社発行、税別1800円)にちなんだ企画。もし豊橋空襲がなかったら、戦後の豊橋市はどのように発展したのかを想像する。
岩瀬さんは資料写真を元に、豊橋駅前と広小路3丁目から札木町にいたるエリアにあった百貨店や映画館、旅館と寺社などを紹介。そのうえで、1945年6月19日深夜に始まった豊橋空襲によって、市街地の70%が焼失し、1万6886の建物が失われたと説明した。
ここからが本論の「もしも」。空襲がなく終戦を迎え、同じように発展したとしたら豊橋の街はどうなっていたかを考えた。まず会場に向け、そのような場合は何%の戦前の建物が現代に残るかを質問。5%未満だとしたうえで、空襲のなかった旧小倉市の終戦直後から現代に至る発展の様子を写真で示した。
そして①道路は大正時代の都市計画に基づき、現代とほぼ同じ形になる②広小路通3丁目から札木町のエリアと駅前の二極を核に発展する③戦前の住宅はほとんど建て直されるが、悟真寺や龍拈寺などの寺社が多い江戸時代の名残がある街になる―との考えを示した。
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1967年三重県生まれ。名古屋大学卒業後、毎日新聞社入社。編集デスク、学生新聞編集長を経て2020年退社。同年東愛知新聞入社、こよなく猫を愛し、地域猫活動の普及のための記事を数多く手掛ける。他に先の大戦に詳しい。遠距離通勤中。
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