豊橋市石巻本町の「馬越長火塚古墳群」の現地見学会は23日に開かれる。これに先立ち20、21の両日、調査の様子が報道陣に公開された。
昨年12月1日から今月にかけて、調査しているのは「長火塚古墳」と「大塚南古墳」。調査が終了すると埋め戻される。
長火塚古墳は6世紀末に築かれた全長70㍍の前方後円墳。この時期以降では東海地区最大の古墳という。墳丘はくびれのとぼしい1段目に緩やかな傾斜のある2段目がある。東海地方では例がない形状で、奈良や岡山、熊本の各県、長崎県壱岐島に類似した古墳があるといい、西日本の首長との交流をうかがわせる人物が埋葬されていると推測される。
前方部の西側半分が明治時代以前に畑になっていたが、本来の前方部の形が部分的に残っていたことが判明した。古墳の表面を覆う「葺石(ふきいし)」も確認された。
一方、19日に報道発表された大塚南古墳は、直径19㍍の円墳で7世紀初頭に築かれたと推測されている。壁石が組織的に抜き取られており、地元に残る「吉田城の石垣造りのために古墳の石を持っていった」という伝承を裏付ける可能性のある発見となった。
吉田城を大改築したのは池田輝政(1565~1613年)。輝政が建造した姫路城の石垣には、古墳の石棺が用いられていることが知られる。吉田城主から姫路城主に移封され、大規模な改修をした際、吉田城で経験した古墳の石の再利用をした可能性がある。
大塚南古墳からの石の運び出しに関する古文書などは残っておらず、実際のところは分からない。大塚南古墳のすぐ隣りにある長火塚古墳の石を持ち去らなかったのはなぜなのか。古代の権力の象徴だった古墳を破壊した意味は。そんなことを考えながら見学会に参加するのも面白い。
見学会は23日午前9時半から午後2時、馬越集会所前で受け付ける。無料。
【山田一晶】
長火塚古墳の石室。壁石がぎっしり並んでいるのが分かる
壁石が盗まれていた大塚南古墳